狐が泣いたわけ

 高田橋の近くに白子稲荷があります。このお稲荷様が建てられたのは安政年間と伝えられています。
明治四三年に内務省内訓によって一村一社ということになって、当時は田名村でしたから白子稲荷も田名八幡宮の境内に移されることになりました。
ところが、それから夜になると、犬の遠吠えならぬ狐の鳴き声が聞こえるようになりました。近くの村人はその鳴き声があまりに寂しく、悲しげなので、これはきっと何か不吉なことが起こるのではないかと、怯えはじめました。
赤ん坊がひきつけを起したり、一晩中眠れなかったり、中には狐に化かされて、お風呂だと思って肥だめに入っていたとか、屋根の上で逆立ちをしたとか、とにかくよからぬ噂がまことしやかに飛び交いました。
そして白子稲荷ののぼりを担いだ狐が泣きながら、なんとも哀れなかっこうで歩いているのを見たという人まで出る始末です。
そこで氏子たちが骨を折り、お稲荷様をまたもとの場所に移したということです。
付近の一三軒の氏子たちが毎年二月の二の午の日に稲荷講を催し、藁づとに赤飯を入れて供え、神楽を奉納しました。
狐はやっぱり「コンコン」と泣いたのでしょうか?

文・絵:いちむら あきら
座間美都治
相模原民話伝説集より