村富稲荷の白蛇

 中央から相武台に抜ける県道を通称村富線と読んでいますが、その名前の由来となったのが、この道路の起点にある村富神社です。この神社は、その昔、上矢部新田の鎮守としてまつられた村富稲荷のことです。
そのお社の前に大きな松の木がありました。根元が空洞で幹の周りは3メートルを超えていました。幹の周りを息をしないで左から7周まわると、白蛇の姿が見えたといわれています。事実、雨が降ったあとなど、白い大蛇がこの幹をぐるぐる巻いているのが見えたと、土地の古老が言っています。何故幹を左から7回まわるのか、何故そこに白い蛇がいるのか、そのわけは定かではありません。以前は、この大蛇にあげるために、幹の空洞の中に生卵などを供える人もよくいたそうです。生卵はいつの間にかなくなっていたそうですが、蛇が食べるのではなく、今で言うホームレスがちゃっかりせしめていたという話もあります。この松は津久井から神奈川へ通じる街道からよく見え、道しるべのようになっていました。そんところから、相武台に抜ける県道ができた時に、正式な名前でなく、誰言うことなく村富線とよばれる事になったと考えられます。

文・絵:いちむら あきら
座間美都治
相模原民話伝説集より