天女が告げたお寺

 天女は三保の松原が有名ですが、実は、相模原にも天女が出てくる話があるのです。
むかし、渋谷越後守義重という人があり、足利義昭に仕えていました。義昭はその頃織田信長に対して兵を起そうとしていました。義重は信長と兵を交えるのは不利であることを進言していましたが、聞き入れられられず、仕方なく義昭と決別、関東に下りました。義重はある夜の夢に、天女が法華経を唱えながら空を舞い、沢辺の柳の木に降りるのを見たのです。義重は不思議に思い、このことを目黒碑文谷の法華寺上人に話しました。上人はしばらく考えて、「あなたはこれから西南の方角に行かれ、夢に見たと同じ場所があったら、そこへお寺を建立するのです」と教えました。義重は言われた通り西南に向かって来ますと、まさに夢に見たとおりの場所があり、小さな庵がありました。庵に日題という僧がいて、「ここには日朝上人という方がおられて、寺を建てようとして果たさず亡くなられました。これはきっと、日朝上人がそうさせたのです」と言いました。
二人は力を合わせお寺を建てることに奔走し、文禄元年春に完成ました。天人が柳に舞い降りたので青柳寺と名付けられました。

文・絵:いちむら あきら
座間美都治
相模原民話伝説集より