おひめばたけ

 西門のま東にあたる裏門のところに「おひめばたけ」といわれる所がありました。今は何も残っていませんが、境川沿いの小高い丘の上で、もとは古い大きな藤の木があり、小さな祠がありました。富士山信仰に関係があったのか「ふじのもり」ともいわれていたようです。
むかし、美しいお姫さまが、どういう事情があったのか知りませんが、さすらいの旅の果てに、この地にたどり着きました。旅の疲れが重なりとうとう病気になり、はかなくて短い一生を終わったということです。お姫様には十二人の家来がついていました。家来はそれぞれ「くぐつ師」に身をやっしていました。おそらく戦いに敗れて落ちのびて来た一族郎党ではないかと思われます。
十二人の家来は姫の野辺の送りをすますと、この地にいついて村を起し、十二軒村といいました。外から来た者ということか、古くかからの地着きの者とうちとけることもしませんでした。今ではだんだんと途絶えて、一軒も残っていません。十二人の墓もあったそうですが、現在は全く不明で記録もないそうです。
なおこの「おひめばたけ」の東方を「御所の入り」といっています。何かいわれがありそうです。興味のある人は調べてみませんか?

文・絵:いちむら あきら
座間美都治
相模原民話伝説集より