舞踊家 花柳寿太一郎さん
幅広い活動で伝統芸能を支える若き才能
◆2002年9月、寿太一郎さんのお稽古場のある相模台6丁目のご実家に お邪魔し、 インタビューさせて頂きました。
―基本的なことをお聞きしますが、日本舞踊の成り立ちについて簡単に教えてください。
現在、日本舞踊として確立されている芸能は、もともと歌舞伎(かぶき)舞踊から発展したものなんです。 皆さんにおなじみの歌舞伎には、かならず劇中劇があって、シナリオがあって、一幕が終わって、舞踊が入るんです。昼の部 でも、夜の部でも、芝居・舞踊・芝居とありまして、ちょっと一休み、という時の息抜きに音楽を楽しむというような感じで舞踊だけを抜粋したのが歌舞伎舞踊です。 この舞踊を歌舞伎の演目の一部と してやるだけでなく、独立した出し物として、発展させていこうということで日本舞踊という ものが出来てきたんです。
皆さんよくご存知の「藤娘」という演目がありますね。あれも、六代目菊五郎という人が、 戦後、大津絵(おおつえ)を見て、これを踊りでやってみようかなと歌舞伎の公演で発表したらすごい評判になって、それが日本舞踊に入ってきて広がった、ということなんです。 歌舞伎自体は出雲の阿国に始まり歴史は古いんですよ。文化・文政の頃には最もはやったものですしね 。 例えば、舞台化粧で、なぜ白粉(おしろい)などをつかって顔を真っ白く塗るかというと、昔の舞台は天窓の光と照明はろうそくの明かりだけしか無かったので薄暗くて 白く塗らないと顔が判らなかったからなんですね。 日本舞踊をご覧になったとき、豆知識として思い出してください。
―あまり知識が無いものでお尋ねしますが、日本舞踊というのは色々流派があるんですか?
日本舞踊協会の中には何百という流派があるんですけども、主な流派というのが、花柳、坂東、 西川、藤間、若柳といったところです。古典をやっているんだけども裏で新舞踊をやって いたりと、いろいろな人がいますが、自分は古典一本です。 新舞踊もやってみないか、と誘われるんですけども古典を大事にしようと思ってます。
―海外での公演もなさっていると伺いましたが、エピソードなどお聞かせいただけませんか?
文化交流とか企業のPRなどが多くあった時期は、海外公演も毎年のようにありましたね。 ベトナム、アメリカ、デンマーク、ポルトガルなどに行きました。 日本舞踊の舞台衣裳一式というのは、和装が基本ですから結構な大荷物になってしまいます。国内では専門の方にお任せし、あまり自分ではしない衣裳の準備からしなければならないんで大変です。かつらも必須ですが、これも専門の方がいないととても難しいんですよ。 8年前のベトナムなんか、 直行便が無かったんで行くのもちょっと大変でしたし、ポルトガルに行った時には、国の中を何箇所も公演して回りましたが、とてもたくさんの衣裳の荷造りから全部自分達でしなければいけないし、腰を痛めそうで結構辛かったですね。 また、ヨーロッパでは野外公演とかあるんですけど、向こうは雨でもやるんですよ。着物など、濡れるとダメになっちゃうんですが、そういうことが向こうの人はわからないんで、仕方なくラップみたいなのを上から巻いたり してやったんですが、ちょっと恥ずかしかった。(笑) 来年には北京に行く予定です
ー舞踊の世界にお入りになったきっかけは?
母親が民謡をやっていた関係で、自分も小さい時から民謡を習ってきて、日本舞踊を始めたのは小学校に入ってです。 三味線も子供の頃からやってました。その延長ですね。気が付いた時にはやらされてたっていう感じですね。 日大の芸術学部に入って、舞踊の家で育ってずっと修行して来た人達と一緒になって、皆、家を継ぐために来てるんで カルチャーショックを受けましたね。自分なんか、父親と同じ仕事にはつきたくないと思ってましたから・・。 踊りを職業にしようと思ったのは大学を卒業する1年前。遅かったですね。 大学に入って同級生とか先輩に優れた人が多くて、「やめるならこいつらを負かしてからにしよう」って思ったんですよ。 演劇学科の中に日本舞踊コースっていうのがあるんです。 たまたま僕の上には、舞踊界で若手NO.1という方がいて、その方にとても可愛がってもらったんで、恵まれてました。
―芸名のいわれを教えてください。
寿太一郎という芸名は師匠の花柳寿太郎師に「一」を足したものです。師匠のお兄さんが岩井半四郎さんなんですが、男の弟子が皆岩井さんの方に行ってしまって、誰も残らなかったんです。そこへ僕が弟子入りしたものですから、実の息子みたいに可愛がってくれました。
―今どんなことに力を注いでらっしゃるんですか?
小さい子に教えていきたいという希望がありまして、今鶴川の保育園に教えに行って、僕の発表会で出てもらっています。 最近、日常の挨拶も出来ない子も増えていますし、着物というのを着る機会もあまりないでしょう。やはり、着物、足袋、お扇子って いう日本の文化を体験させてあげるだけでも違うと思うんです。それから年一回ですが、 都内で耳の不自由な方達を招待して,台詞を全部手話でやって見てもらう、というのをやってます。見て面白さをわかってもらえれば、 歌舞伎にも何かの時に見に行ってくれると思うんです。相模原でも、そういう場所さえ設けてもらえれば、ボランティア ででも踊りを、色々な人に見てもらえるのにな、とよく仲間うちで話したりするんですよ。
花柳寿太一郎プロフィール
1968年生まれ
昭和49年 二代目 花柳寿太郎師に入門
昭和60年 花柳流名取になる
平成2年 日本大学芸術学部演劇科卒業
平成11年 芸術インターシップ研修生となる 日本舞踊協会主催:2001年各流派合同新春舞踊大会にて大会賞を受賞
2002年各流派合同新春舞踊大会にて文部科学大臣賞受賞
主な出演: 東京電力主催の 「やまとたけるのみこと」、 清酒「松竹梅」のCM 、 創作舞踊や海外(ベトナム、アメリカ、デンマーク、ポルトガル)・地方公演など にも多数参加 。
花柳寿太一郎ホームページ「じゅたわん倶楽部」 http://www.juta-one.com/
今後の出演予定
平成15年1月4日 国立小劇場「舌出し三番叟」(しただしさんばそう)
2月13日 国立大劇場 都民フェスティバル
■インタビューを終えて■(担当:K)
相模台6丁目で育ち,現在南台に住む花柳さんは、奥様も実家が商店街のお店という生粋の地元人です。
娘さんは相模台小学校に通っています。若手の舞踊家として評判の注目株ですが、とても気さくに 稽古場を案内してくださいました。日本舞踊に関心をお持ちの方は是非メールを。