淵辺義博の龍退治

 むかし、淵野辺村に足利直義( ただよし、室町幕府初代将軍尊氏の弟)の家臣で淵辺義博という武将が居館を構えていました。この人についてはいろいろな伝説がありますが、龍像寺に龍退治(大蛇退治)の話が伝わっています。
暦応年間(1338年~1341年)、この地の境川沿いに龍池という広い池がありました。ここには龍が棲んでいて人や家畜を襲い、村人たちは恐ろしさに村から逃げ出す始末です。時の幕府はこれを聞いて広く龍退治をする勇士を募りました。名乗り出たのが淵辺義博です。命を受けて、義博は得意の強弓を携えて、池のほとりに立ちました。すると、たちまち雷鳴がとどろき、風雨が巻き上がり、池の水が二つに裂けました。そこから巨大な柱が立ち上がったと見る間に、それが龍になり、大きな赤い口を開き、義博めがけて襲いかかってきました。
義博は持っていた弓にかぶら矢をつがえると、ハッタとにらむ二つの眼光の真ん中めがけて放ちました。すると龍は三段にたち切られて池に落ちたのです。
幕府はその労をねぎらい、池を埋め、その土地を村人に与えました。龍を三箇所に葬り、そこに竜頭、龍像,龍尾の三寺を建てました。現在残っているのは龍像寺だけで、寺にはそのとき使った矢じりと、龍骨の一部も伝わっているそうです。

文・絵:いちむら あきら
座間美都治
相模原民話伝説集より