いつの頃か、法仙坊という剛の者が、田名の丸山のほとりに住んでいました。身体は人一倍大きく腕っ節が強い。とにかくこの法仙坊に敵うものは一人もいなかったのです。法仙坊はいい気になって乱暴や狼藉をはたらいていました。
さてもう一人、相模川の対岸の小沢城に、小沢太郎という侍がいました。たいへんな弓の名人で、当時並ぶものは誰もいません。やはり剛力の持ち主で、矢をつがえてひょいと放っても、その矢は七・八町隔ててこちら側の「飛び崎」まで飛んできました。これが飛び崎という地名の由来です。
この小沢太郎が法仙坊の横暴なうわさを聞いて、いつかこらしめてやろうと機会をねらっていました。そしてついに機会は到来。両者は一戦をまじえることになりました。小沢太郎の怒りのあまり放った矢の勢いはものすごく、飛び崎を飛び越えて、もっと遠くの「矢の崖(はけ)」まで飛んできました。
両者の勝負の結果はどうなったかは、言い伝えられていません。法仙坊も互角に戦って、勝負はつかなかったようです。近くに「矢向い」という地名もあり、ここにも矢が飛んできたと言われています。法仙坊の石碑が、路傍の藪の中に、今でもあるそうです。
文・絵:いちむら あきら
座間美都治
相模原民話伝説集より