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サウザンロード、相模原に縁りのある著名人の方からのメッセージ。

女子マラソンのパイオニア 「永田七恵さん(旧姓 佐々木)

~東京国際マラソン日本人女性初の優勝選手~

日本中を感動させた第2回全国女子駅伝では、歴史に残る「17人ごぼう抜き」


26歳 遅咲きマラソンランナー

今でこそオリンピックの花形といえば女子マラソンですが 、その当時は女性がマラソンに出場することは考えられない時代で、1984年ロス五輪からはじまりでした。その3年前に瀬古選手を育てた中村清監督に出会い、地元の教師という安定した職を捨てて、単身で東京に出てきました。そして本格的にマラソンに挑戦しはじめたのは、26歳のときでした。  毎日の練習は、多い時で60~70km、少ない時でも15~16km練習をつんでいました。上京後まもなく監督からかなり厳しい指導を受け、「お前は、瀬古の100分の1も理解できていない。」「女は手がかかる。」それでも、東北女性の粘り強さで乗り切れたのかなと思います。選手代は、肉体的にはもちろん精神的にもかなり鍛えられたと思います。

マラソンイコール人生■■■

自分史と言うといい事しか言わないとある人が言ってました。悪いことがあっても“終わり良ければすべて良し”であると思っています。今の若い人たちにも、講演や現在活動している部活動を通し言っている事は、“若いときに流さなかった汗、老いてのち涙となって流れるものである。”これは、中村監督から常々言われていました。今のうちに身に付けられるものは、スポーツに限らず一生懸命になって何かに打ち込んで欲しい。本当の意味での心のゆとりや満足感は、苦しい思いをしてこそ達成するもの。今でしかやれない将来につながる志をもって欲しいと思います。 “天才は有限、努力は無限” 現在も相模原市陸上競技活動を通して子供たちと接し、選手育成しています。

略歴●●●

1956年(昭和31年)岩手県に生まれる。日本体育大学を卒業後、岩手県の高等学校教員を経て、1982年に、ヱスビー食品入社。入社後は、マラソン中心にして陸上競技に取り組み、1984年ロサンゼルスオリンピックに出場し、日本女子マラソン界の基礎を築いた。  1985年の名古屋国際女子マラソンでの優勝を最後に引退。その後主婦業に専念していたが、1991年ヱスビー食品女子陸上部コーチとして、陸上界に復帰。1996年同陸上部顧問に就任し、また相模原市においては、1996年11月から上溝南中学校部活動技術指導者として子供たちに接し、1999年10月から相模原市教育委員に選任され現在に至る。

名古屋国際女子マラソン優勝
主な競技歴 ★★★

1979年  東京国際女子マラソン

1981年 ボストンマラソン

1982年  クラリストチャーチマラソン 優勝

1983年  東京国際女子マラソン優勝

1984年  ロサンゼルスオリンピック 19位

1985年  名屋国際女子マラソン 優勝